日々を楽しく大切に。好きなもの 好きなこと おでかけ。。そんな日常を綴っていきます。


by さくら
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あなたが私にくれたもの

49日が終わり 形見分けではないけれど 叔母の持ち物が私のところにいろいろやってきました。
亡くなる前から 「お嫁さんたちはきっと着ないから あんた私の着物ダンスごと持って帰って」と
言われていたのですが そうしてしまうと ほんとにおばちゃんがすぐいなくなってしまう気
がして 「はいはい」と生返事をしていました。
亡くなるまでに時間があったので お洋服も持ち物も着物も ずいぶんと生前整理されていて 
結局数枚の着物と帯をもらいました。 
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不思議と私がほしいなと思うような色、柄のものが残されていたのでありがたく。
着物はやや肩がこるので そろそろ行き詰ってきたかなと思ってましたが せっかくもらった
のだからもうちょっと楽しんで着るかなぁ。。そんな思いになって このところまた着物で
お出かけしています。
従弟夫妻のもとに来月産まれてくる 双子ちゃんに浴衣くらい着せてあげたいし。
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洋服やアクセサリーも お嫁さんたちは趣味じゃないので。。と断られたので 母の姉妹と
私でもらいました。
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友達と野点をしたいねと話していたところ ちょうど抹茶茶碗やお茶道具もあり 私のところに
やってきました。
やりたいことが似ていたのか 不思議と私が漠然とほしいなと思っていたものが贈り物のように
次々と私のところにやってくるのでした。

叔母はなかなか子宝に恵まれず、その分自分だけの時間が長くあったので 多趣味でした。
唯一の女の子である私は  一緒にモノを作ったり 洋裁が得意だったので 「こんな服がほし
い」というと作ってくれたり  お人形のお洋服も作ってもらったりもしたなぁ。。と
改めて もらったものを出して眺めてみたりして。
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この赤いワンピも お店で見てなかなかのお値段だったのでこんなのがほしいとねだって
まだ私が二十歳くらいの時につくってもらったもの。黒のジャンバースカートも同じく。
革のペンケースは私が小学校の時に 当時革手芸が趣味だった叔母の横で作らせて
もらったもの。 懐かしいな。
そういえば おばあちゃんも 浴衣やら サマーセーターやら いろいろ作ってくれたなぁ。。
唯一の女の子だったため私結構 トクしてたな。。
今になってありがたく思います。

今回 叔母だけでなく いろんなものをいろんな人からもらったのだなと思う出来事がありました。
うちの弟 普段は仕事柄休みがみんなと合わないのもあるし 父に似てちょ~っと外面は
いいけど 家では気難しいかも??というところがあるので あまり親戚うちの集まりには
顔を出さないのですが 子供のころ 従弟たちが生まれる前 私と同じくわが子のように
かわいがってもらった叔母の一大事とあり さすがに病院に顔を出しました。
その日は 末従弟のアキが東京から帰ってきていたので 妊婦のお嫁さんに気を遣わせては
悪いので 弟がみんなを誘って食事会を弟おごりで開催。
総勢8人。。行先は。。弟は豪勢にいくつもりで 銀行まで行ってお金をおろしたのに
偏食の叔父のリクエストでファミレス(笑)
でも叔父はとても楽しかったらしく 上機嫌。 
その様子を叔母が知って 病床から弟にお礼の電話。
その頃はあまり容態よくなかったのに よほど叔母もうれしかったみたい。
叔母が亡くなった夜も 二晩お通夜になるためみんな一日目は帰ってしまい兄弟のようにして
育った従弟を一人残すのが忍びなかったようで 自ら お線香苦手なのに 一緒に泊まると
言い出した。
叔母の亡骸と従弟と弟と狭い和室に川の字になって寝ていました。

亡くなった後も叔父が一人寂しくしてるのではないかと たまに立ち寄って一緒にお茶を飲んだり
今度は旅行をプレゼントしようと企んでいるらしく、ちょっと意外。
早くに父が亡くなったけれどその代償に 父は残された人の悲しみに寄り添う気持ちというのを
弟に残したのかもしれません。

母から父が亡くなった時のことを改めて聞いたりして。あまりに容体が急変して私、間に合わ
なかったので今まで聞きそびれていました。
肺の病気だったため 呼吸がままならず薬の副作用の吐き気もあり眠れないくらい苦しんで
いたのですが 最後は「眠くなったから少し眠るな。。」と言ってそのまま逝ってしまったそうです。
最後は苦しまず眠るように。。
私が会社に入って3週間目 弟が東京の大学に行って同じく3週間目の出来事でした。


そして私の祖母。 
私が生まれる随分前に 48歳で子宮がんで亡くなった写真でしか知らないおばあちゃん。
時代が時代なので私が見たことのある写真も遺影とそのほか2枚くらい
どんな声をしていたのか どんな表情をする人だったのか どんな風に話すのか 知るすべも
ないけれどちょうど私が生まれた病院が おばあちゃんが亡くなった病院で 当時おばあちゃん
の担当だった先生が私の生まれたときにえらくなって回診に来られ 「ひょっとして」と母が声を
かけてもらったそうです。
今まで接点というのがぴんと来なかったのですが おばあちゃんと私は同じ先生にお世話に
なったそうで今回なぜだかその話をはじめて聞いて少しうれしくなってしまった。

いろんなあちらの世界にもう行ってしまった人たちが残された私たちにくれたものは 思うより
計り知れなくて後になってそれに気が付いたり それに対してお礼を言うこともできないの
だけれど どこかで伝わっていればいいなと思う。

数日前100か日を迎え なんだかまた 整理していたら出てきたらしい 草履や 帯締めなんか
を昨日またもらいました。
今頃になって 私が。。というより 母はもう自分の妹に 叔父は50年連れ添った妻に 従弟たち
は30代にして自分の母親にもう二度と会えないんだなぁと思うと なんだかとてもそのことが
悲しくなってしまった。
それでも私たちは前に向かってゆくしかないのですよね。
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弟たちが小さかったころの写真。 左の従弟は9月に女の子のパパになり 右の従弟は
来月双子の女の子のパパになります。
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by yaesakura130 | 2013-03-18 21:59 | 暮らし 思うこと | Trackback | Comments(0)